入局して間もないまだぴちっぴちの研修医の頃。桜の花びらがまだしっかりと花を咲かせている頃だった。
病棟研修中に、ある1人の患者さんの担当になった。
30代の男性。舌癌の術後に頸部リンパ節への転移がみつかり化学療法をしていたのだが、それでも癌が制御できず、転移した癌のせいで首が腫れ、腫瘍が首の皮膚を食い破って表に出てきていた。いわゆる、花が咲く、という状況である。それだけでなく、気道が圧迫されて呼吸困難感が強くなり、2日前に緊急入院した人だった。
画像検査で腫瘍に気道が圧迫され狭くなっており、このままだと窒息してしまうため、入院同日に気管切開をしていた。
首に空気穴を開けて、そこにチューブを入れることで空気の通り道を確保するのだ。
チューブが入っていて口で会話ができないので、筆談でやりとりをしていた。
最初のうちは、
「今日は体調どうですか?」
という会話だけであったが、そのうち慣れてくると、その日のテレビの内容であるとか、今日は外に散歩に行ったなどと話すようになった。
ある日を境に、首の腫瘍から強烈な臭いがし始めた。
〝癌臭〟とよばれるものだ。
部屋には臭いがたちこめ、換気をしても追いつかない。
首の腫瘍が血管を圧迫し、脳までの血流が少なくなり、日中でもぼーっとしていることが増えた。
目はうつろで、話しかけても頷くだけ。手を動かす気力もない。
そんな状態から1週間
その日は朝からすごく元気がよかった。
「コーヒーが飲みたくて、無理して飲んでみた!」
と言う。
朝から車椅子で外に散歩にも行った、と。
「桜の花びらが散ってきてて、綺麗だったよ。桜ももう終わりだね。」
そう言って、外で拾ってきた一輪の桜を嬉しそうにテーブルの上に置いた。
親御さんも涙ぐみながら、元気な姿が久々に見られた、と喜んでいた。
彼が急変したのはその日の夜だった。
腫瘍がとうとう首の血管を食い破ったのだ。
看護師から連絡を受けて部屋へ向かった私が見たのは、天井まで血がついた部屋の中で心臓マッサージをしている当直医の姿だった。
家族の希望で到着までの約1時間、交代で心臓マッサージをした。
生まれて初めて私がした心臓マッサージはメチャクチャだった。
リズムも、深さも、カウントすらできない。
家族が到着し、当直医が死亡確認をした。
家族は、最後までありがとうございました、と私達に向かい頭を下げた。
いたたまれず視線を落とすと、床の血溜まりの中に桜が落ちていた。
一礼し退室すると、当直医から、着替えてきなさいと言われた。
見ると、白衣の袖から腕にかけて、患者の首から漏れ出た血で染められていた。
血で濡れた白衣を脱ぎ、研修医室に戻る。
トイレで汚れた手を洗い、白衣を洗う。
白衣の血を見ると、部屋の惨状が思い出され、知らない間に手が震えていた。
1人になって初めて、患者の死が実感となり、嗚咽が漏れた。血のついた床に落ちた桜が、頭の中でぐるぐると回っていた。
当直医は淡々と的確に周りに指示を出し、周りをコントロールしていた。私は何も出来ずオタオタしていただけ。
研修医になったばかりだったのだし、彼とはそもそものライセンスが違うので当然といえば当然だが…
若い人は細胞の代謝スピードが早いため、癌の進行も早い傾向にある。
この人も、入院してから1ヶ月と経たず亡くなった。
癌は恐ろしい病気だ。
特に頭頸部癌は、癌の中でも一番辛い最後を迎える。
頬を腫瘍が食い破り、目から頬までがなくなってしまった人。首に転移し、首から腫瘍が出てきてしまう人。頭頸部癌の辛いところは、そうなってもなかなか死ねないことだ。
癌臭を抑えながらだんだん衰弱していくのを待つしかない。
その時の家族 や本人の気持ちは計り知れない。
このところ若い舌癌の患者が増えているが、皆大きくなってしまってから来院する。そうするともう首に転移していたり、舌を殆どとってしまわないといけなくなることもある。
最近は口腔癌検診なども増えており、癌の早期発見に力が入れられている。
癌が大きくなってからではなく、おかしいと感じたらすぐ近くの歯医者に行って欲しい。そして、こういった検診のシステムも上手く使って欲しい。
新しい病院に出向して1年半、数件急変に遭遇した。
知識やライセンス上、私たちだけではどうにもならないことが沢山あり、専門の科に介入をお願いしなければならない。というか、急変してしまったらもはや私達に全身管理でできることはほとんどない。
人によっては管理を他人に丸投げしてしまう人もいる。
私たちのライセンスでできることは限られているし、無力感に苛まれることもある。それでも、主治医である限りは、最後までその患者さんに寄り添い、自分にできうる限りの手を尽くす努力を怠ってはならない。
さ、認定医試験の勉強しよ。