口腔外科医のあれこれ

某市中病院で働く口腔外科医が、日々の診療のことや旅行記などなどを書いています。フィクションあり、ノンフィクションあり。信じるか信じないかはあなた次第。

クリスマスキャロル

チャールズディケンズ著のクリスマスキャロル

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冷徹でお金一筋、意地悪スクルージおじさんが、過去、現在、未来のクリスマスの霊によって見せられた自分の姿を見て、優しく愛が溢れた人に変わる話。

 

ふと、自分の父を思い出すことがある。

いや、父はまだ存命なのだが。

 

父は昔からお酒が大好きで、家に帰ってきてからも、外でもよく飲んでいた。

母は専業主婦で、家のことや父の仕事を手伝いながら、私と弟を育ててくれていた。

手が回らず、家政婦さんを雇ったりもしていて、それなりに裕福な家だったと思う。

父は、自分が稼いでいるのだから、何でも自分の思い通りになるのが当然、という感じの人だった。

1番古い記憶の中で、父が母を叩いているのを見たのは幼稚園の頃だった。

何でかは覚えていない。

ただ、その光景が鮮烈に頭に残った。

 

父は剣道もしていた。

私達も当然のごとく剣の道に進んだが、いい加減な稽古をしたり、勝てなかったりすると、家では特訓が待っていた。

息が上がってもひたすら打ち込み、足が追いつかなければ竹刀で叩かれ、ひどい時は突きを食らわされて吹っ飛び、頭を打ったこともあった。まだ小学生だ。

特訓は夜遅くまで続き、近隣の家から苦情がくるようになり、夜は21時まで、と決められた。心底ほっとしたが、剣道に行くのか嫌で嫌で仕方なかった。

 

小学生に上がると、夫婦の喧嘩が増え、父はよく母を叩くようになった。

母は何もやり返さない人だった。

「あんたたちがいるから別れられない」

そう言われたこともあった。

今思えば、さぞ辛かったであろう。

 

父は決して母に愛がないわけではない。

結婚記念日や誕生日には花を買い、ディナーを予約する。

私が生まれた時は嬉しくてずっとだっこしていたらぎっくり腰になってしまったんだそうだ。

 

でも、私は父が外に女を作っていたことも知っていた。

中学生の頃、夜東京から酔っ払って帰ってきた父のジャケットから、香水の匂いが香った。母も恐らく気付いていた。

母は何も言わずそっと父のジャケットをハンガーにかけて消臭スプレーをかけた。

中学生だった私は、父を嫌悪した。

でも、態度には出さなかった。

出せば叩かれるからだ。

 

休みの日、父がいないとほっとした。

父が帰ってくると、皆それぞれの部屋に散っていく。

階下から呼ばれると、渋々降りていく。

そんな風に過ごしていた。

 

母も、父がいない時はのびのびしているように見えた。

だが、祖母からしょっちゅう呼び出され、相当ストレスは溜まっていたと思う。

 

長女なんだから、我慢しなさい。

長女なんだから、しっかりしないと。

繰り返しそう言われた。

 

私は高校生になり、その言葉から逃れるように反抗するようになった。隠れて漫画を学校に持って行ったり、当時主流だったMDプレイヤーがほしかったが、月500円のお小遣いでは到底買えず、かといって親から買う許可が出るわけでもなく、親のお金ををちょろまかしたこともあった。

当然すぐばれて、散々殴られた。

流石にお金に関してはやってはいけないことをした、と自覚し、猛省した。

母ほ、流石に高校生で月500円は少ないか、と思ったようで、月3000円に増やしてくれた。

 

その頃、2つ下の弟は中学1年生だった。

私よりも剣道が強かった弟は遠征に行ったりなんだりとあり、当時から携帯を持ち、最初から月3000円のお小遣いをもらっていた。

 

あなたは私立だし、お金がかかってるんだから、我慢しなさい。

そう言われ、私が携帯を持ったのは、高校3年生だった。

 

私はいつからか、自分を出さないようになった。

家でも、学校でも

本心を語ることはなくなった。

言い返せば殴られる。泣けばもっと殴られる。母が仲介に入れば母も殴られる。

我慢しなければ。いい子でいなければ。

 

母からの言葉の呪縛と、父に対する恐怖で、早く家を出たいという気持ちしかなかった。

 

家を出て数年

私は実家には殆ど寄り付かなくなった。

実家に帰ってこいと言われるが、仕事が忙しい、と言って逃げ回る。

親戚の集まりにも殆ど行かない。

 

先日、ほぼ1年ぶりに会った両親を見て、衝撃を受けた。

すごく年をとったように見えた。

 

父は随分と穏やかになり、母と2人で出掛けることが増えた。

母も東京に出たり、横浜に行ったりといくらか動けるようになり、ストレスは少し減ったようだった。

 

人は歳をとるとこうも変わるのか。

穏やかに話す父を見て、そう思った。

母も、最近はお父さん、すごく丸くなったのよ、と言う。

 

人間は歳をとる。

両親もいずれはいなくなる。

後悔しないうちに、ちゃんと会っておかなければ。

そう思うが、なかなか重い腰を上げられずにいる。

年末年始も帰れるかわからない、と言ったまま。

私の中の小さい頃の記憶が、足を踏みとどまらせる。

いつ、私はこの呪縛から解放されるのだろう。

 

私に家族ができれば変わるのだろうか。

でも、私には父や母のようにならない自信がない。

よく、虐待された子供は同じようになる、という。別に虐待されたとは思っていないが…叩かれて育った私は、同じことをしないだろうか。

 

私は兄弟の中で1番男っぽく、乱暴だと思う。

言葉遣いも、行動もだ。

そうすることで、周りから身を守ってきた。

最近は落ち着いてきたが、そんな私に家族なんて作れるのだろうか。

愛する人と一緒にいたいという気持ちはある。

でも、その人や、その人の大事なものを傷付けてしまったら?

 

そう思うと、怖くなる。

 

最近、そういったしがらみから抜け出すために、コーチングを始めた。

私は変わりたい。

変わって、両親にためらいなく会い、自信を持って愛する人と接していけるようになりたい。

 

その一歩を手伝ってくれる人を見つけた。

 

さぁ、これから、変わるぞ、私。